脱炭素・水素化社会に向けた
”未来の素材”エスカーボン®

PROJECT 02

新規多孔質炭素材料
開発・量産化プロジェクト

  • 総合研究所 プロセス開発センター
    新規炭素・無機材料プロセス開発グループ
    グループリーダー

    小野 秀喜

  • 総合研究所 プロセス開発センター
    新規炭素・無機材料プロセス開発グループ

    新井 勇輝

CHAPTER01 新型燃料電池車に採用された
未来を拓く”新しい素材”

2019年 日鉄ケミカル&マテリアルは多孔質炭素材料「エスカーボン®」の量産化に成功した。これにより同製品は、2020年12月に発売されたトヨタ新型燃料電池車(以下、FCV)「MIRAI(ミライ)」の燃料電池内のカソード電極用の触媒担体として採用され、燃料電池システムの小型化・高性能化を実現する重要材料として、その技術的貢献度の高さから同社よりプロジェクト表彰を受けた。

FCVは、水素を燃料として車体内部の燃料電池(発電装置)に酸素と共に取り込み、それらの化学反応によって発生する電気エネルギーを動力として走行することから「究極のエコカー」とも呼ばれる環境対応型車だ。「エスカーボン®」は、FCVにおける燃料電池の重要材料として高い導電性、耐久性、ガス拡散性を持ち「MIRAI(ミライ)」が誇る世界トップレベルの燃料電池の体積出力密度の実現に貢献することとなった。

「エスカーボン®」は、金属アセチリドを前駆体として創成し、ナノスケールで構造制御された新規炭素系機能材料であり、メソポーラスカーボンナノデンドライト(以下、MCND)と称される。このMCNDには、ポーラス状の無数の穴が空いており、比表面積が広いのが特徴の一つ。その穴には多くの白金を担持できることから電極への使用を目的とした金属担持母材として高い性能を発揮する。今後も自動車用途をはじめとする水素利用拡大とともに、燃料電池市場の大きな成長が予想される中で、「エスカーボン®」は脱炭素社会の実現に貢献する新たな素材として幅広い分野への展開が期待される。

CHAPTER02 量産化に向けたプロジェクトチームが発足

2009年、世界で初めて作製に成功したMCNDは、その後の2013年より日鉄ケミカル&マテリアルがサンプルワークを行う過程で幅広い分野での検討が進み、その中でも特に燃料電池車の触媒担体として大きな可能性を見出した。その後、社内の研究・製品開発メンバーの努力によって製品化までの展望が開かれ、総合研究所 プロセス開発センターにおいて「エスカーボン® / MCND」の量産化への本格検討が開始された。ついにこの新しい素材の誕生に向けて大きく動き出した一大プロジェクト。しかし、この量産化プロジェクトは最後まで困難を極めたという。

量産化ステージから中心的な役割を担ったのは、同センター 新規炭素・無機材料プロセス開発グループに所属する小野と新井の両名であった。グループリーダーである小野は、これまで多くの新規プロセス開発に携わってきた自らの経験についてこう表現する。「当社は、長年の強みとして“カーボンワールド”と呼ばれる独自の技術分野を持っており、私はどちらかと言うと、同じ炭素材料でもその賑やかなメインストリートから一つ外れた裏街道。(新規開発案件に携わる)私たちの仕事というのは、まだ日の目も見ず確立もされていない技術の数々を、何としても裏街道からメインストリートへと走者のバトンを繋げたい一心で、日々、開発に情熱を注いでいるようなもの」と半ば冗談めかした言葉の裏に、これまで歩んできた道への自負を感じさせた。

一方の新井は、炭素材料のプロセス開発でありながら、小野とは異なるフィールドで活躍していたという。それでも両者にはある共通点があった。「おそらく彼も私と同じ」と小野。「そうですね、この世にない製品の新規プロセス開発と聞けばどうしても挑みたくなる。自分にとって願ってもないチャンスだと感じた」と新井は当時の心境を振り返る。

CHAPTER03 決まっているのはゴールのみ
プロセスは作り上げていく

しかしながら、お互いにMCNDの前駆体となる金属アセチリドを手がけるのは初めてのこと。その上、プロジェクト始動と共に託された資料をもとに量産化までのロードマップを描く中である驚きもあった。プロジェクトを成功させるために残された期間はたったの2年。「資料を見た瞬間、ゴールから逆算しながら真っ先に頭の中をよぎったのは、プロジェクト成功に求められている開発スピード」と新井。当然、その後の検証過程でも様々な課題が出てくることが想定されるため「成功の確信は1ミリもなかった」と小野は振り返る。それでも高いポテンシャルを秘めたこの製品を世に出すために、これまで多くの研究・製品開発に携わるメンバーが懸命に次へと繋げてきたバトンを手にし、二人の未知への挑戦に対する士気は高かったという。

最初に着手したのはプロセス全体の設計だった。もちろん託された資料通りの結果を期待できる部分もあったが、現段階では予測しきれない部分、そもそも設計を再考しなければいけない箇所も多く、途方もない道のりの長さを感じていた。タイムリミットが刻一刻と迫る中で、小野は本来であれば順を追って行うプロセス開発・検証と、量産設備のエンジニアリングという2つの領域を、同時並行的に進めることで開発期間の短縮を図ったという。「プロジェクト開始から2年後に量産化を実現するためには、どうしても1年で量産検証用設備の建設を開始しなければならない。そのため私たちはプロセス開発からエンジニアリングまで広範な領域を一手に担い、2つの領域を行き来しながら同時並行的にプロジェクトを進め、起こりうる想定外の全てに対応できるよう、二の矢、三の矢をつねに考えていた」と小野は語る。

CHAPTER04 世界初の材料に向けて
教科書にない技術の確立へ挑む

スケールアップを進める上では、品質の安定化やコストに加え、 “安全なプロセスを確立する”という重大な使命もあった。MCNDの前駆体となる金属アセチリドは少量でも著しい爆発性を有することで知られている。その危険性ゆえ研究が進みにくい物質であることは想像にたやすく、「MCNDの製造工程にあたる“金属アセチリドの相転移反応を制御しながらある一定の物性に制御する”というプロセスは、これまでの世の中に存在せず、 “何かを厳守すれば安全である”という確立されたルールもない中で、文字通りゼロから安全指針を作りながらプロセスを確立していく必要があった」と小野は語る。

一方の新井はMCNDの量産化への要となる、装置の設計に着手していた。こちらも前例のない装置であるが故、必要となる容器の材料選定や、加熱装置に使用するヒーターの検討まで、設計の基礎の基礎から携わり、検査やシミュレーションを幾度となく重ねたという。「ゼロから求める能力を引き出せるようオリジナルで装置を設計する過程は今までとは違うやりがいがあった」。そう語る新井は、見事に全ての個別要素を深く検討し最終的にドッキングさせることで装置を完成させた。

CHAPTER05 困難の末に
装置を完璧に制御する

多くの試行錯誤を経て、いよいよ量産検証用の設備が完成する。しかし、試運転を開始して間もなく、またしても二人に大きな壁が立ちはだかることになる。設計した装置の運転が安定せず、目標量の生産ができなかったのだ。

この問題を解決するため量産検討のオペレーションを担当する部門からも厚い協力を得たという。「スケールアップしたことで見えてきた課題。オペレーターのメンバーと一丸となって10数名の技術者がモニターにかじりつきながら、制御するためにはどうすればいいのか考え続けた」と新井。

今から装置を根本的に変更するのでは期限に間に合わない。量産化体制へのラストスパートに向けて、どうしてもオペレーション条件の調整で解決する必要があった。そんな中、小野はここでも万が一の試運転での想定外に備え、装置設計の段階で温度、圧力、流速などの調整で対応できるよう、制御可能なパラメーターに自由度を持たせることを予め織り込んでいたのだ。

ただし、オペレーションの変更も容易ではない。その都度、リスクについての再検討が必要であり、リスクアセスメントを繰り返し、安全性を確証した上での作業には時間を要した。そして、最適解を導き出すことで、ついに最後の難関を乗り越えたという。

CHAPTER06 できない理由より
できる方法を考える

最大の山場を乗り越えてからも課題は続出したが、無事にクリアし予定通り製造部門への引き渡しが完了した。怒涛の日々について、小野が「全てが新しく、今だからこそ面白かったと言える。どんな事態にも諦めることなく、二の矢、三の矢を実行してくれた新井はさすがだった」と信頼を口にすれば、新井は「任せてもらえるからこそ、新しいことに挑戦できた。小野さんが繰り返す『できない理由を言うより、できる方法を考えよう』という言葉が力になった」と語った。

「エスカーボン®/MCND」の量産化技術を確立した今、改めて二人の心境を尋ねると「将来、FCVがもっと普及し毎日のように目にする日が来れば嬉しい。自分が設計した装置から生まれた素材がそこで役立っていることは誇りであり、今後の開発のモチベーションになる」と新井。小野は「エスカーボン®/MCND」がFCVに活かされることで社会貢献ができる点に触れ、「私たちが開発した素材自体を、社会の人々が目にすることはないかも知れない。それでも、社会に役立っていることは喜びであり、自分の家族にも胸を張れること」と微笑んだ。

最後に、技術者を志す若者に向けて「どんなに小さい仕事でも、正確に丁寧に、時間厳守で着実にやり遂げることを大事にしてほしい。その積み重ねが、大きな仕事へと繋がっていくのだから」と、新井。「学生時代、熱心に専門の研究に身を投じていることは素晴らしいことだけれど、同時に忘れていけないことは“それらは人生で数年の出来事である”ということ。社会に出てからの方が圧倒的に学ぶことが多い。だからこそ好奇心や挑戦する強い気持ちを絶やさず、いつまでも自分の可能性を広げてもらいたい」と小野はエールを贈った。

(2023年4月時点)

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